前回の続き↓
デイビットと別れ、レンタルバイクを返してから空港へ。
シェムリアップからプノンペンまでは1時間ぐらいで到着。
正直なところシェムリアップの街は結構しょぼかったので、プノンペンも大したことないのかなと思っていたら、プノンペンは大都会でぶったまげる。
早速ホテルでチェックインを済ませ、プノンペンのナイトライフで行きたいと思っていたカジノ「ナガワールド」へ。
ナガワールドはカンボジア唯一の政府公認のカジノで、1995年からその先70年のカンボジアにおいてのカジノ独占権を所有しているカジノリゾート。
ホテルやレストラン、ショッピングエリアなども併設している。
早速中に入ってみると、かなりゴージャスな感じ。
ラオスのカジノはなんかピリピリしたような感じがあったが、ここはもっと一般人向けに開放されているところなのでピリピリした雰囲気は全くない。
カジノ内部はめちゃくちゃでかく、ルーレット、バカラ、ポーカーなどのテーブルが300台以上、スロットが2,500台以上あるんだとか。
ラオスのカジノに行った時から予想していたことではあるけど、ここのカジノも中国人が多い。
ディーラーが中国人客相手に中国語で会話している場面も多いし、中国に古くからあるゲームの「シックポー」ももちろんある。
ちなみに、ここナガワールドは2017年度の「賭け金総額」がその年のカンボジアのGDP金額を超えたという驚愕の場所。
恐るべき中国マネー…
マジでここ最近、中国語を勉強しようかなと考えざるを得ないぐらい中国のパワーがやばすぎる。
この日は色々と移動して疲れたしナガワールドを満喫して終了。
次の日は丸一日プノンペンにいることができるので、早速プノンペン観光。
カンボジアと聞くと「ポルポト」の名前がまず思い浮かぶ人は多いと思うけど、自分もそのうちの1人。
ということでプノンペンに来たらポルポト関係のところに行きたいと思っていたので、まず最初に向かったのは「トゥールスレン虐殺博物館」。
博物館の話の前に一応ここで簡単にポルポトについて説明。
ポルポトは1976年から1979年までカンボジアの首相となっていた人物。
そんな彼が提唱したのが「原始共産主義」。
彼の考えとしては
「文明が発展してしまっている現代ではいくら共産主義を唱えても実際に達成するのは難しい。だったら文明が発展する前の原始時代に戻ればいいんじゃないか?」という考え方。
狩猟採集時代の原始時代は、全員が狩りや採集という食料確保の仕事に従事しているのでそこに階級格差はないし、みんなで確保した食料はすぐに消費してしまうので余剰資産というものは存在しない。
家や狩猟の道具もみんなで共有するので、基本的に個人の私有財産と呼べるものは服ぐらいしかない。
「昔はみんな資産がなく平等な生活が出来ていたじゃないか!だったら昔に戻ればいいんだ!」というのが原始共産主義の考え方。
彼がこの結論に至った過程に大きな影響を与えたのが、彼が裕福な家庭に生まれながら全く頭が良くなかったからだと言われている。
彼はカンボジアの裕福な家庭に生まれ、名門小中学校に行ったが、高校は試験の点数が足りなかったせいで兄弟が進学している名門高校には行けなかった。
そして普通の高校に通うが、コネを使って当時のカンボジアでは超エリートコースとなるフランスへ海外留学。
しかし彼の頭が良くなったわけではないので、フランスでも勉強についていけず、奨学金が打ち切られてしまいカンボジアに帰国したという経緯がある。
彼は決して不勉強だったわけではなく、逆に至って真面目でむしろ勉強熱心だったらしいのだが、とにかく勉強ができなくて数々の挫折を味わっている。
そんなこともあって階級格差が生まれない共産主義に惹かれていったと言われている。
お隣の国であるベトナムの「ベトナム戦争」やカンボジアの内戦など紆余曲折を経て、ポルポトはゲリラのトップとしてプノンペンを占拠し政権を樹立。
彼の理想である原始共産主義の実現に向けて動き始める。
彼の理想とする原始共産主義は、原始時代に戻ることを必要としているため、文明は邪魔なもの。
原始時代に「都市」というものはなかったので、プノンペンにいた人々を田舎の農村に強制移住させ、「国民全員農民化」の中、劣悪な環境の中で農業に従事させる。

原始時代にないものは全ていらないので、貨幣も国立銀行も廃止、教育も廃止、医療も廃止。
全員が狩猟採集に従事する世界では知識や教養もいらないので、医者や学校の先生、技術者なんかは全員いらないから虐殺。
ついにはメガネをかけていたら「学識がありそう」ということで虐殺。
原始時代の農業では農業機械は使わないので、全て手作業での農業となるが、そんなの生産性が上がるはずもなく、国情は全く良くならない。
「正しいことをしているのに国情が良くならないのは、スパイがいるせいだ!」
と考えたポルポトは、疑わしき人物を捕まえては収容所に送って拷問と虐殺を繰り返したが、その時に使われたのがこの「トゥールスレン虐殺博物館(当時はS21と呼ばれていた)」。
元々は学校だった場所なので、教室をブロックで区切った独房や様々な拷問器具、実際に虐殺された当時の写真などが展示されている。
ここは言葉よりも写真で見てもらった方がいいと思うので、写真をいくつか。




歴史を知るためにはおすすめの場所だけど、こびり付いて取れない血糊とかは未だに残っているので、こういうのに慣れていない人は結構心が重たくなるので、それは覚悟して行ったほうがいいかも。
次に向かったのは、「キリング・フィールド」と呼ばれる場所。
ここは名前の通り処刑が実行された場所。
初めはトゥールスレン虐殺博物館で殺し、裏手の小学校に埋められていたが、じきにそこがいっぱいになってしまったのと、トゥールスレンは処刑時の叫び声が響くからということで、市内の中心部から少し離れたキリングフィールドに処刑場所が移動させられた。
ここではたくさんの人骨があるのと、連行された人々がどのように処刑されたかなどを学ぶことができる。
以上色々見てきたが、ポルポトは政権についていた3年間で国民の1/4にあたる200万人を虐殺したらしい。
この虐殺で最も問題なのが、知識人を狙って殺したということ。
知識がある人は全員殺されたので、知識や文化の継承が全くされていない。
有名な話では、ポルポト政権時代は医者が全員殺されたので、手術は子供が見よう見まねで行っていたらしい。
そして、カンボジアの学校では今でも日本で言う音楽や美術、技術などの授業がない。
というのもそれを教えることができる教養がある人は、全員殺されていないから。
カンボジアの伝統の踊りなんかを習得していた文化人は殺され、文献も廃棄されてしまったため、今なんとかしてカンボジアの伝統舞踊なんかを復活させるために頑張っているらしい。
2つの施設を行ってみてポルポトの残虐さをとても痛感するが、驚くことに亡命したポルポトが住んでいた村の人たちはポルポトは温厚な人だと話すらしい。
実際、Youtubeでインタビューされているポルポトなどを見ても、その辺の優しそうなおじいちゃんという印象。
実際にあったわけじゃないから本当のところはわからないけど、ポルポトは本当にカンボジア国民のためを思ってやっただけで、その方法が過激すぎたのと頭が悪すぎただけなのかもしれない。
今回はかなり重い内容になっちゃったけど、来週はカンボジアでの残り半日を軽く書きます!!
次回へ続く→→→
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